こんにちはロウシです。
今回は近年の衆愚政治を予言したオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を紹介します。
およそ百年前に書かれた本書ですが、まるで現代の事を書いているかのような衝撃を受けます。
今回はそんな「大衆の反逆」をわかりやすく紹介していきます。
これから「大衆の反逆」を読む人の参考になれば幸いです。
今回の記事を読んででわかることはこういったことです。
- オルテガとはどういった人物か
- 「大衆の反逆」の内容
- オルテガにとっての大衆とは
- なぜ大衆が生まれたのか
- どうして衆愚政治になりがちなのか
- 現代人がいかに傲慢か
- 精神的な貴族になるにはどうしたら良いか
ここにあてはまらない人は今回の記事を読んでも役に立ちません。
この記事の要点が知りたい方は目次からまとめへ飛んでください
オルテガ・イ・ガセットとは
ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)はスペインの哲学者です。
彼の主な著作は「大衆の反逆」、「ドン・キホーテをめぐる思索」などがあります。
彼の父親は高名なジャーナリストです。
かれの人生はどのような物だったのでしょうか。
彼は1883年スペインのマドリードに生まれました。
オルテガは早熟だったらしく、七歳でセルバンデスの「ドン・キホーテ」を暗唱できたといいます。
彼は15歳からマドリード大学で学び、19才の時に学士号を取得します。
大学卒業後、ドイツに渡りマールブルク大学で新カント学派の哲学を学びます。
帰国後、マドリード大学の教授になります。
その後、議員として活動したり、いろいろな活動をして72歳でこの世を去りました。
「大衆の反逆」とは
「大衆の反逆」はオルテガの1929年の著作です。
この「大衆の反逆」が他の本と違うのが、大衆を精神性によって分類したことです。
つまりどういうことかというと、大衆を社会階級などでわけなかったということです。
例えば、貴族や学者にも大衆はいるし、逆に労働者階級にも少数者(大衆ではない人)がいるということです。
この「大衆の反逆」は第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に書かれた本です。
「大衆の反逆」は全体主義を批判をしています。
オルテガはこの本で大衆の危険性を訴えていました。
この「大衆の反逆」が書かれた当時世界はムッソリーニやヒトラーが政権を握っていました。
つまり大衆に政治を任せたことで恐ろしい独裁政権ができあがったのです。
では内容の解説に入っていきます。
大衆とは
オルテガの言う大衆はいわゆる労働者階級などではありません。
では一体どんな人間が大衆なのでしょうか。
彼は大衆を精神性で分けました。
つまり上流階級や労働者階級などの階級で大衆を分けたのではなく、精神で分けたということです。
大衆の定義についてはオルテガの言葉を引用するのがわかりやすいでしょう。
大衆とは善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。
オルテガ・イ・ガセット 神吉敬三(訳)(1995)『大衆の反逆』筑摩書房(p.17)
大衆とはまとめるとこんな人たちのことです。
- 自分自身に特殊な価値を認めようとしない人
- 他の人々と同じ事に快感を覚える人
- 他の人々と違う人を排除する人
- 大量にいる人
- 個性がない人
- 慢心しきったお坊ちゃんのような人
これらの人間をオルテガは大衆と言います。
では大衆のなにが問題なのでしょうか。
それは大衆が慢心しきったお坊ちゃんだからです。
どういうことかというと彼ら大衆は先人が作った文明を湯水のごとく当たり前に使います。
それなのに文明を作った過去の偉大な偉人をバカにします。
大衆は自分達が何でも出来ると思い込んでいます。
大衆は自分達に限界なんかないとまさに慢心しきった子どものようになっています。
つまり大衆は自らの力を過信して何でもできると思い込んでいるのです。
このような大衆の愚かな特徴をオルテガは慢心しきったお坊ちゃんとよびます。
生まれた時からなに不自由なく暮らしてきたお坊ちゃんは自分の力で何でもできると過信します。
自分の家の環境が恵まれてることにも気づかず偉そうに振る舞います。
こんな子どもと大衆は本質的に同じなのです。
彼らは文明の破壊者であり、このまま大衆が権力を持ち続けたら文明が崩壊するかもしれないとオルテガはいいました。
また大衆は何か行動するとき直接行動しかできません。
つまり何かやりたいことがあるとすぐ暴力に訴えるのです。
だから暴動と言った愚かなことが起きるのです。
オルテガは一見大衆に見えない学者も批判しました。
なぜ学者が大衆なのかというと彼らが専門分野しかしらないからです。
オルテガ曰く、昔はいわゆる百科事典的な学者がいたそうです。
ですが、現在は専門分野しか知らない学者が多いそうです。
つまり、自分の専門分野しかしらないのは一種の無知なのです。
だからオルテガは学者も大衆だと言ったのです。
なぜ大衆が生まれたのか
なぜ大衆が生まれたのでしょうか。
大衆社会が広く広がりだしたのは19世紀からです。
オルテガはその原因として二つの出来事をあげます。
それは科学技術の発展と自由主義デモクラシーです。
まず自由主義デモクラシーについてです。
自由主義デモクラシーは簡単にいうと貴族政治が終わったということです。
フランス革命などが起ったことによって世界は大衆があやつるようになりました。
つまり民主政治のはじまりです。
これは良いことの風に見えます。
確かに民主政治のいいところもあります。
しかし問題点があります。
一つ目は何の教養も持たない愚かで哀れな大衆が政治的な権力を持つようになったということです。
彼らは何の教養も持っていません。
つまり現在の欲望のままに政治を行ったりするのです。
これをオルテガは危険だといいました。
二つ目の問題点は慢心することです。
どういうことかとうと、自分達で政治を出来るようになった大衆は何でも出来るような錯覚に陥るのです。
実際この民主主義による慢心のせいで第一次世界大戦が起きたのです(もちろん他にも原因はあるが)。
次に科学技術の発展がなぜ大衆を生み出すのか見ていきましょう。
19世紀人類の科学技術は大幅に進化しました。
これにより物理的な制約がどんどんなくなっていきます。
つまりあらゆる面で豊かな時代が到来したのです。
これにより過去の人々のように生を重苦しい運命と捉える必要がなくなったのです。
そしてだんだんと大衆は慢心していくのです。
科学技術を発展させ自分達の存在を安楽にしてくれた先人達への感謝の気持ちを忘れ、どんどん傲慢になります。
こうして大衆は何でもできるという錯覚に陥るのです。
実際この慢心が第二次世界大戦の悲劇を生みました。
大衆から抜け出すために
大衆から抜け出すためにはどうしたら良いのでしょうか。
大衆から抜け出すためには精神的な貴族になる必要あります。
ここでいう貴族はこのような人たちです。
- 自分とは異なる人と共に生きていける人
- 粘り強さや向上心を持っている人
- 自分は大衆じゃないと傲慢にならない人
このような人を我々は目指すべきなのです。
そして我々は過去の偉人に感謝しなければなりません。
「大衆の反逆」を読んで学べること
「大衆の反逆」を読んでなにが学べるのでしょうか。
今から私が学んだ事を書いていきます。
これから読む人の参考になれば幸いです。
大衆とは何かを学べる
まず最初に大衆とは何かを学べます。
これはまあ当然のことです。
オルテガのいう大衆は他のひとがいう大衆と違うので、いろいろ気づきがあります。
そして大衆とは何かを知った上で我々は大衆から脱却しなければならないと気づかされます。
精神的な貴族を目指すべきだと知れる
次に我々は精神的な貴族を目指すべきだと知れます。
これは理想の生き方をしると言うことだと思います。
さきほども書きましたが我々は過去の偉人に感謝し決して傲慢にならないようにしなければいけません。
そういう事を気づかせてくれるのがこの「大衆の反逆」です。
現代人は傲慢だと知れる
最後に現代人は傲慢だとしれます。
私はこの「大衆の反逆」を読むまで現代人がそこまで傲慢だとは思いませんでした。
ですがこの本を読んでしっかり考えてみると我々は傲慢です。
いきなりそれから脱却するのは無理ですが、すこしずつ脱却するように努力しようと思いました。
「大衆の反逆」がおすすめの人
「大衆の反逆」がおすすめの人はこんな人です。
- 大衆から脱却したいひと
- 己を高めたい人
- 衆愚政治が嫌いな人
- 大衆が傲慢だと思う人
ここにあてはまった人はたぶんこの本を読んでたのしめます。
「大衆の反逆」がおすすめじゃない人
「大衆の反逆」がおすすめじゃないひとはいません。
現代人は絶対に読んだ方が良いです。
まとめ
- オルテガ・イ・ガセットはスペインの哲学者
- 近代社会が作り出した、大衆とは他人と同じ事で快感を得る人
- 我々は精神的な貴族を目指すべき
- 民主主義は諸刃の剣
- 民主主義を維持するためには一人一人の意識が大事
今回は「大衆の反逆」についての記事でした。
ご興味があればぜひご一読ください。