こんにちはロウシです。
今回は「監獄の誕生」で有名なミシェル・フーコーの処女作「狂気の歴史」を紹介します。
狂気は抑圧されていると説いたフーコーの思想とはどのようなものだったのでしょうか。
「狂気の歴史」はすごく値段が高いです。
ですがこの記事を読んでいただければその内容をある程度把握することが可能です。
これから「狂気の歴史」を読む人の手助けになれば幸いです。
今回の記事を読んでわかることはこういったことです。
- フーコーはどういった人物か
- 狂気とは何か
- 「狂気の歴史」の内容
- 心理学の本質
この記事の要点が知りたい方は目次から まとめへ飛んでください。
ミシェル・フーコーとは
ミシェル・フーコー(1926~1986)のフランスの哲学者です。
彼の主な著作は、「狂気の歴史」、「言葉と物」、「知の考古学」、「監獄の誕生」などがあります。
狂気や権力、性など彼の研究は多岐にわたります。
彼の哲学は分類が難しいです。
どういう事かというと、彼の哲学は世間からは構造主義と言われていますが、自らは構造主義を批判しているのです。
だから最近はポスト構造主義に分類する人もいます。
ここはすごくややこしいですが、まあポスト構造主義と思ってもらえれば良いと思います。
ミシェル・フーコーは1926年フランスのポワティエに生まれました。
彼はパリの名門校に入学します。
成績は常に良かったそうです。
学生時代彼は、同性愛者であることや、社交的ではない自分に悩み自殺をしようとしたと言われています。
1966年に「言葉と物」を出版。
彼の名前は世間に知れ渡ります。
1975年に「監獄の誕生」を出版します。
1984年エイズで亡くなります。
「狂気の歴史」とは
「狂気の歴史」はフーコーの処女作で、1961年の著作です。
「狂気の歴史」の目標は、狂気が古代から現代までどのように社会に受け止められどのように変化していったかの歴史を書くことです。
「狂気の歴史」と言うだけあって狂気がどのように社会に扱われてきたかが本書のテーマになります。
このことに留意して読むと理解のスピードが段違いです。
それでは内容に入っていきましょう。
古代からルネサンスの狂気
まず最初にフーコーは古代からルネサンスで狂気がどう扱われてきたかを記述します。
古代からルネサンスでは狂気は、理性を越えた神がかりだとされていました。
どういうことかと言うと狂気は真理を語る存在だとされていたのです。
だから、狂気(狂人)はあるていど自由な存在でした。
その価値観はかなり長い間続きます。
知識人は狂気との対話で真理を得ようとし、文化などを創ってきました。
古代からルネサンスの狂気の象徴なのがあの「リア王」です。
「リア王」で描かれている狂気は、精神病というより理性を越える理性として描かれています。
「リア王」以外にも例えば「痴愚神礼讃」などもその良い例です。
「痴愚神礼讃」を知らない方もいると思うので、あらすじを紹介しておきます。
「痴愚神礼讃」は痴愚女神(愚かさの象徴)がカトリックの権威や哲学者などを嘲笑する話です。
この作品もある種常人が持っていない特別な理性のようなものが真理を語るというような感じの話です。
「リア王」、「痴愚神礼讃」はすごく面白いのでぜひ読んでみてください。
ここまでをまとめると、古代からルネサンスぐらいまでは狂気はある種真理を語る存在だったわけです。
なぜかというと常人が気づかないところを気づいたりするからです。
だから狂人はある程度自由だったのです。
十七世紀の狂気
古代からルネサンスの狂気は、ある種真理と捉えられていました。
しかし、十七世紀に入ると事情は変わります。
この頃から、勤勉な労働をよしとする価値観が台頭します。
つまり資本主義の価値観の台頭です。
それに伴い救貧院のような施設が台頭し始めます。
つまり、労働できない者(乞食、老人、障害者、狂人、放浪者、等々)をそのような施設に閉じ込め始めるのです。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でマックス・ウェーバーが記したように、
宗教改革によって人々の労働への価値観は大きく変わりました。
宗教改革以前は貧乏は清貧などと捉えられ美化されていましたが、改革後、貧困は社会に適応していない堕落として捉えられるようになりました。
労働は神への忠誠や信仰として捉えられるようになり、救済の道になります。
労働できない者は堕落していると捉えられます。
そうした堕落を矯正するため施設に労働できない者を閉じ込めるのです。
こうして西洋社会は二つに分けられます。
すなわち、「理性的かつ正常な人間」と「非理性的で異常な人間」に隔てられるのです。
監禁の対象はどんどん広がっていきました。
同性愛者、無信仰者、性病患者、錬金術師、自殺志願者なども監禁の対象になっていきました。
そうして、たくさんの人々が異常者と見なされ監禁され、社会から隔離されます。
この時代の狂気は雑多な非理性の集合の一部でした。
十八世紀~現代の狂気
十八世紀に入ると先程のような恣意的な監禁が非難され始めます。
労働不足の問題もあったので、じょじょに非理性に分類されていた人々は解放され始めます。
しかし、狂人だけは非理性として監禁され続けています。
十八世紀から十九世紀初頭にかけて狂人の解放が試みられます。
狂人は解放的な施設に生活の場を移されます。
しかしこれは事実上解放というよりも、より厳しく厳格な非理性に対する拘束です。
どういう事かというと、彼らが作った狂人の施設は社会的な規範に従う事を強制された完全な拘束の場だからです。
狂人たちは常に監視され、細かい生活基準を守らされます。
狂人は監禁施設のように身体的な拘束からは逃れられました、しかし新たな精神の拘束が待っていたのです。
身体を縛るより精神を縛ったほうがはるかに合理的なのです。
こうして狂気に対する理性の特権的な地位が確立され、狂気を観察し治療する学問「心理学」が誕生します。
心理学の本質
心理学は狂気を観察し治療するために誕生した学問なのです。
つまり、私達が普遍的に存在すると思っていた、「心」という概念は先程からの狂気の監禁の歴史によって作られた産物でしかないのです。
心理学ある種、狂気を閉じ込め、治療するためにできた産物でしかないのです。
先程の理性と狂気の分断によって社会は狂気を抹殺することに成功しました。
つまり、狂人などはじめからいなかったのです。
狂気という概念は、社会の中でしか存在しません。
社会的規範に反する人を異常者と認定しそれを排除していくそのような流れの中で狂気は誕生したのです。
「狂気の歴史」を読んで学べる事
「狂気の歴史」を読んで学べる事を書いていきます。
ただここに書いてあるのはあくまで私個人の主観です。
狂気とは何かを知れる
まず最初に狂気とは何かについて知ることができます。
例えば、狂気は古代においては神がかりと解釈されすごい真理を語っているとされていました。
このように狂気がどの時代でどのように社会に捉えられていたかを知ることができます。
心理学とは何かを知れる
次に心理学とは何かをしれます。
心理学がなぜ誕生したのかなどさまざまな事を知ることができます。
心理学の歴史に興味があるひとも一度は読んだ方が良いと思います。
狂気とは社会が作るものと知れる
最後に狂気という概念は社会が作るものだとしれます。
我々は普段狂気というものが当たり前に最初から存在すると思っています。
ところが実際はそうじゃありません。
社会が狂気を作るのです。
それを教えてくれるのがこの「狂気の歴史」です。
「狂気の歴史」がおすすめの人
「狂気の歴史」がおすすめの人はこういった人です。
- 狂気を知りたい人
- 心理学について知りたい人
- 社会と狂気の関係について知りたい人
- フーコーに興味がある人
ここにあてはまる人は読んで損はしないでしょう。
「狂気の歴史」がおすすめではない人
「狂気の歴史」がおすすめではない人はこういった人です。
- 狂気に興味がない人
- 心理学に興味がない人
ここにあてはまる人はおそらく読んでも楽しめないでしょう。
まとめ
- ミシェル・フーコーはフランスの哲学者
- 「狂気の歴史」では狂気がどのように扱われてきたかを書いている
- 古代~ルネサンスでは狂気は真理を語る存在とされた
- 十七世紀狂気は幽閉された
- 十八世紀から現代狂気は解放されていない
- 狂気という概念は社会が作り出す
今回は「狂気の歴史」についての記事でした。
ご興味があればぜひご一読ください。